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【GL】花は恋を抱く【R15】


 椿の花は、美しく咲いたままぽとりと落ちる。私も、そうでありたかった。



「ようこそ、おいでなんし」



 指先を揃えてお辞儀。殿方をうっとりさせる笑みを浮かべて顔を上げる。

 私は花街に咲く一輪の花。殿方に買われることが何よりの幸せ。



「椿(つばき)」



 今年の春からうちの店に通ってくださっているお客様。

 雅(みやび)さまに呼ばれて、「はい」と嫋やかに頷く。



「お待ちしておりんした、雅さま。今宵も共に過ごしていただけるのでありんしょうか?」


「あぁ」



 悠然と頷いて、雅さまは言葉少なく私を見つめる。彼からは、ただの女に対してではない、確かな愛情をいつも感じる。


 それなのに、雅さまは私にお手を付けることがなかった。



「ふふ、嬉しゅうござりんす。……こちらへどうぞ。お酌いたしんすえ」



 席へ招いて、杯を持った雅さまにそっとお酌する。

 ちょろちょろと流れるお酒を見守りながら、不意を装って視線を上げ、微笑みかけると、雅さまの瞳は蕩けるように細められた。



「……椿は、いつも愛らしいな」



 指の背で、撫でるように私の頬に触れる。

 それが心のこもった言葉だと分かっているから、私の頬は演技せずとも熱を帯びた。



「まあ……ありがとうござりんす。雅さまを前にしているからでありんすわ」


「ふ……それが世辞でなければ、嬉しいよ」


「お世辞だなんて。わっち、雅さまに嘘を吐いたことなどありんせんよ?」



 少し拗ねた風に言うと、雅さまは綺麗に微笑んで杯を傾けた。ぬしの愛の言葉と同じくらい、遊女の言葉も信用できないと分かっているよう。


 中性的な、美しい容姿をした雅さまは、月に一度うちへいらしては私のみを指名してくれる。

 夜が更けるまでお酒を呑んで、食事をしたら、朝が来るまで共に眠るだけだけれど。含みなどない、言葉通りの意味で。



「椿。琴を弾いてくれるかい」


「はい」



 ご要望をいただいて、部屋の隅に置いておいた琴を取りに行く。演奏場に琴を置いて座り直すと、ちゃんちゃんちゃら、と爪で弦を弾いた。

 奏でるのは、雅さまが好きな“咲た桜”。


 目を閉じて聴き入り、たまに杯を傾ける雅さまが心安らぐように、気持ちを込めて弾く。長い時間、曲を変えて。



「いつもよりお酒が進んでやすね」


「あぁ……そうかな」


「えぇ、酔いが回ってきたのではありんせんか?」


「そうかもしれない……」



 雅さまは薄っすらと頬を赤くして、ぽーっとした様子で答える。今までは嗜む程度にしか呑んでいなかったから、初めて見る姿だ。


 私は琴を部屋の隅に置いて、雅さまの隣へと戻った。お体を支えると、艶やかな流し目で私を見て、熱っぽい手で頬を撫でられる。



「そんなに近付いては、我慢できなくなってしまう」


「雅さま……?」



 その言葉の意味が分からない遊女はいない。


 六回目の来訪となる今日になって、ついに枕を共に……?


 そう思ったのだけれど、雅さまは首を緩やかに振って布団への移動を希望した。



「もう寝ようか」


「……はい、分かりんした」



 立ち上がると、やはりふらつく雅さまを支えて、布団が敷かれた隣の部屋へと移動する。灯りを消して共に横たわれば、後はいつも通り眠りにつくだけ。

 ……けれど。


 私は暗闇の中、雅さまの胸に手を添えて甘えるような声を出した。



「雅さま、今日は……」


「椿……魅力的な誘いだけど、駄目だ」


「どうして……? ここはそういう場所でありんしょう?」


「椿を大切にしたいからだよ」


「それならせめて、口づけをしておくんなんし……」



 体を寄せて誘えば、雅さまは手探りで私の頬に触れ、唇をなぞる。

 とくん、とくんと鼓動が聞こえてきて、こくり、と唾を飲んだ。


 お酒の匂いが混じった吐息。熱を持った柔らかいものが唇に触れる。


 とうとう、雅さまが……。



「雅さま……」



 このままなし崩し的に、とお代わりをねだりながら、胸板を撫でて肩に触れると、手を掴まれた。

 ちゅ、と音を立てて唇が離れ、雅さまが囁く。



「可愛らしく誘って……いけない子だね。もう、おやすみの時間だよ」


「意地悪……」


「ふふ……今日も添い寝してくれるかい?」


「……はい、わっちは雅さまのお傍に」



 酔っているからか、いつもより口調が柔らかい雅さまに、胸がとくんとくんと音を立てる。

 お酒の匂いがする雅さまに抱きしめられて目を瞑ると、いつの間にか眠気がやってきて、微睡むように夢の世界へと旅立っていた。



 雅さまと、初めて口づけを交わした日。

 これから徐々に進展できると思っていたのに……その翌月、雅さまは私のもとへ訪れてくれなかった。



「何を考えているんだ?」


「あ……申し訳ありんせん、主さまが前回来てくださった時のことを思い出してやした。あれから、寂しゅうて……」


「はは、椿は甘え上手だな」



 昨夜も今宵も、私は一輪の花として殿方に愛でられる。唯一お手を付けてくれない雅さまを、時折思い浮かべながら。



 月末にならないと分からない。


 もしかしたら今月はお忙しいだけで、来月には来てくれるかもしれない、と日が経つごとに言い聞かせる。

 私が欲を出したから来てくれなくなったのかも、という不安を抑え込むように。



 あくる日、ぬしを待って部屋で待機していると、窓の外に花魁の姿が見えた。

 綺麗に化粧をした顔に、一目で心を惹かれる。


 けれど、彼女の隣にいるのが有名な豪商の方だと気付いて、花魁道中ではなく、身請けされたことを悟った。

 どうしてか、失恋したように胸が痛む。それでも、視線を囚われたままでいると、不意に、花魁が視線を上げてこちらを見た。

 とくとくと速くなった鼓動が、目が合った瞬間、どくりと大きな音に変わる。



「――雅、さま……?」



 あの瞳は、あの視線は、雅さまのもの。


 どうして……?



 彼女は憂い顔で視線を逸らした。綺麗な化粧の下に雅さまの顔が隠れていると思ったら、私は居ても立っても居られなくなって。


 気付いたら、窓の外に身を乗り出していた。



「椿――……っ!」



 椿の花は、美しく咲いたままぽとりと落ちる。私も、そうでありたかった。


 けれど、それはこんな言葉通りの意味ではなくて。


 理想とは違い、歩けぬほどに痛む足を抑えていると、雅さまはいつもと違う、女の顔で私の傍へ駆けてきてくれた。



「雅さま……申し訳ありんせん。手を取って走りたかったのでありんすが……」


「無茶をして……! 足を痛めたの?」


「雅」



 着物を汚すことも厭わず、膝をついて私に触れた雅さまを、豪商の方が呼び戻す。

 振り向いた雅さまの手を取って、私は頬を擦り寄せた。



「わっちの心は、雅さまのお傍に」


「椿……」



 雅さまは私を見て、決意したように唇を引き結ぶと、豪商の方へ声を発する。



「旦那様。この娘を買っていただけんせんか? わっちの借金ということで――」



 驚いて顔を上げた私を、雅さまは力強く抱きしめていた。



fin.

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