オレンジ色のライトが部屋を薄っすらと照らす。
ベージュのソファーに頭を預けて、頬で革の感触を味わった。
テレビの横のスピーカーから流れるのは、いわゆるチルいジャズミュージック。
苦いコーヒーが美味しく感じる時間。
人工の星が瞬く窓の外を眺めて、目を瞑った。
「眠い?」
吐息が多く混じった柔らかい声を聞いて、出てきたんだ、と心の中で思う。
心地いい微睡みに身を任せていると、ソファーの左が沈んで、右の髪をさらりと撫でられた。
それから、首筋に温かく柔らかいものが触れて。ウッディの匂いが鼻先をくすぐる。
私を夜に堕とした人。とくとくと、鼓動が速くなる。
「俺、もう少し仕事するから。後でベッドに運んであげる」
「……」
低い声が心地いい。
隣でキーボードを叩く音が聞こえ始めると、噛み締めるように、幸せというものが湧き上がってきた。
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真央と出会ったのも、夜だった。
私はとにかく逃げたくて、歩いたことのないビル街をでたらめに進んでいた。
すれ違うのが、大人ばかりになってきた頃。
私も歩き疲れて、泣きたくなって、道端にしゃがみ込んだ。
黒いパーカー。フードを目深に被って俯いている。そんな人間に話しかけたいと思う人は少なかったみたいだ。
「君、どうしたの?」
全てに疲れて、うとうとしていた頃。近くで聞こえた声は、やはり吐息が多く混じった柔らかい声だった。
重い頭を持ち上げて上を見ると、ライトブラウンに染まったウェーブヘアに、目尻の垂れた瞳をした、女性受けのよさそうな人がいた。
左目の下に涙ボクロがあるな、なんて思って。
「家に帰らないと、親御さん、心配しちゃうよ」
「……大丈夫だよ、ストレスの捌け口は探してるかもしれないけど」
自分では礼儀正しい方だと思っていたけど、真央には、年上と分かっていてもため口を利ける、不思議な雰囲気があった。
「ふぅん……もしかして君、家出してきたの?」
顔も見ずに、こくりと頷いた。
そんなことを話したところで、現状がよくなるとも思っていなかったけど。
「高校生の女の子が野宿とか、嫌でしょ。家来る?」
顔を上げて、まじまじと真央の顔を見た。どう見ても優しそうで、親切心から言ってる、世話焼きな人なんだろうなと思って。
「……うん」
あの頃の私は、大人というものを分かっていなかった。
だから素直に付いて行った。
結果から言うと。真央は、悪い大人だった。
素肌に触れるシーツ。まだまだ子供で、純真だった私は、恋心を抱いてしまって。
本気で、大人と付き合えると夢を見ていた。真央は子供を相手にはしなかったけど、私を家に置き続けた。
喜怒哀楽。どれも真央にぶつけて、少し大人になった私に、真央は笑いかけた。振り向いてくれた。
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カタカタと、キーボードを叩く音がジャズミュージックに混じって響く。
私は顔を反転させて、真央の肩に頭を預けた。
「真央」
囁くように愛しい人の名前を呼ぶ。
キーボードを叩く音が止まって、細長い指が私の右頬をくすぐる。
頭を少し持ち上げれば、私を見つめる垂れ目が甘く蕩けて、まぶたの下に隠れた。
唇が重なる。洗い立ての真央の髪に指を通す。
「もう少し待ってて。すぐ終わらせるから」
「うん」
私はまた、真央の肩に頭を預けて、目を瞑った。
キーボードを叩く音が、どこかムーディーなジャズミュージックに混じって響く。
fin.
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