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テーマ「初雪」


 はらり、と茶色の葉っぱが落ちる。

 それと入り交じるように、ふわっとした大粒の雪がゆっくりと地面に向かっていった。

 それは地面につくと、幻だったかのように消えてしまう。


 いや、それは事実、白銀の髪を後ろに尖らせた男性、アランが披露した魔法だった。



「さて、これが見本だが。この1週間でどこまでできるようになったんだ?」



 アランはコバルトブルーの猫目を傍らにいる男性に向ける。

 彼を中心として、半径5mほどの範囲に舞っていた雪がぱっと消えた。


 バートは「はいっ」と低い声で返事をして、仕事で鍛えられた太い腕を上げる。

 上空に向けた手のひら……いや、手の甲を見開いた目で見つめて、口を開いた。



「雪よ、雪よ。白く、冷たく、はらり、ふわりと舞い落ちろ」



 自身のイメージをより鮮明にする為の言葉を唱えて、バートは腹の奥に眠る魔力を起こす。

 伸びをするように起き上がった魔力は、バートに命じられるまま胸へ、肩へと移動して、腕を通過した。

 手のひらからぶわりと空中に放射されたそれは、人間の目に映ることはない。


 しかし、頂上に達したそれは白い淡雪に姿を変えて、辺りをスノードームと化するように、はらり、ふわりと舞い落ちた。



「……! 見てください、師匠!」



 バートは降り始めた雪を見て、ぱっと垂れ目を輝かせると、アランに笑顔を向けた。

 大きな体に反して素直な感情を見せるバートは、まるで大型犬のようである。


 対するアランは、口をぽかんと開けて辺りを舞う雪に見入っていた。

 半径10mほどは白に染まっているだろうか。

 アランがバートに雪を降らせる魔法を教えたのは、たった1週間ほど前のことだ。

 子供の頃から魔法が得意だったアランが約3年をかけて生み出したその魔法を、完成した状態で教わったとはいえ、たった1週間でものにしてみせたバート……。


 アランはごくりと唾を飲んだ。

 それから、ひとつの淡雪が落ちるさまを目で追って、「な」と半歩後ずさる。

 アランの瞳は地面に“積もった”雪を捉えていた。


 はく、と薄い唇が開閉する。

 アランは小刻みに震える手を硬く握り締めて、きょとんとした顔をしているバートを睨んだ。



「こんなの、オレの魔法じゃない!」


「え……!?」



 アランは唇を噛んでバートに背を向ける。

 バートは離れていく小さな背中を見つめて、左右に泳ぐ視線を白い地面に落としていった。

 地面に膝をつき、白い息を吐き出しながら薄く積もった雪に触れる。



「これじゃ、全然ダメだったのか……」



 雪に溶けるほど、小さな声でそうこぼしたバートは、口を一文字に閉じて俯くように目を瞑る。

 宙に溶けるように雪が消えていった頃、その口からは再び「もっと練習しないとな」と呟く声が漏れた。


 一方で、せっかちな足を動かしているアランはぶつぶつと呟く。



「オレが一番でいないと……あいつをがっかりさせる……!」



 アランはぎゅっと目を瞑って「あんなの」と声を絞り出すように言った。



「あんなの、夢だ……! 絶対に認めるもんか……!」





****




「困りましたね……このまま、前衛を私1人で担っていては、さらなる強敵を倒すことができません……」



 コリーンは深い溜息を吐く。

 顔の横に垂れた、水色の長い髪を耳にかけて、彼女は目の前の掲示板に貼られた依頼書をざっと眺めた。

 BランクからAランクに昇格する為には、Aランク相当のモンスターを1体、討伐しなければならない。



「せめて、攻撃を代わりに受けてくださる方がいれば……」



 タンクと呼ばれる、防御役。

 それさえいれば、と言うように、コリーンは眉を下げて銀色の目を細めた。


 しかし、諦めたように再び溜息を吐いて右足を後ろに引く。

 掲示板に背を向けてギルドの出入り口に向かうコリーンに、テーブルの方にいた赤髪の男性が声をかけた。



「あん? コリーン、クエストは受けないのか? そうぐずぐずしてたら、俺達の方が先にAランクへ昇格しちまいそうだな」


「デイヴ……」



 コリーンはぴた、と足を止めて振り向く。

 デイヴは頭の上で結んだ短い髪を揺らして立つと、金色のつり目を三日月形にして笑った。



「……失礼します」



 唇を引き結んだコリーンは、軽く会釈をしてデイヴに背を向ける。

 手甲に覆われた手をぎゅっと握ると、かちゃ、と軽鎧が音を立てた。


 そのままギルドから出ていくコリーンの背中を見送ったデイヴは、笑みを消して顎を引く。



「今季、Aランクに昇格できるのは1パーティーだけ……悪いが、その座は俺達が貰うぞ、コリーン」



 そんな呟きを知るよしもないコリーンは、落ち葉を踏みながら乾いた風に髪を巻き上げられていた。

 空を見上げると、長く尾を引いた薄い雲が高いところに浮かんでいる。



「……こんな空の下で溜息を吐いてばかりでは、もったいないですね。気持ちを切り替えましょう」



 コリーンは脱力するように笑って、ぱしんと頬を叩く。

 背筋を伸ばして、前を見たコリーンの瞳は、道の反対側を歩く体格のいい男性の姿を捉えた。

 茶色い髪が短く整えられた、いかにも肉体労働者といった風体の男性。

 その顔は先程までのコリーンのように俯いている。



「……! あの方、よい筋肉の付き方をしています……!」



 コリーンは目を見開いて、小走りで彼のもとへ向かった。



「はぁ……このままじゃ、エリーに雪を見せることは……」


「失礼、そこのあなた! 少しお話をさせていただけませんか? 私はBランク冒険者のコリンと申します」


「え……? 自分のこと、ですか?」



 コリーンが声をかけると、バートは緩く顔を上げた。

 エメラルドグリーンに似た垂れ目がコリンの姿を捉える。

 その瞳の中で、コリーンはにこりと笑った。



「えぇ。よろしければ筋肉を触らせていただいても?」


「き、筋肉……? はあ……」



 目をしばたたかせたバートの曖昧な頷きを見るや否や、コリーンはバッと太い二の腕に触れる。

 バートは目を丸くして半歩下がり、真剣な表情で胸や肩、背中、足にまで触れるコリーンを眺めた。



「やはり、素晴らしい……あなたのお名前は?」


「バート、ですが……」


「バートさん。よろしければ、私共のパーティーに加わっていただけませんか? その逞しい体で、ぜひタンクを務めていただきたいのです」


「た、タンク? いや、自分はただの運送屋ですから、冒険者なんてとてもとても……」


「突然の提案ですから、断りたくなるお気持ちも分かります。ですが、バートさんのことは私がお守りしますので」



 ずい、と近づいてきたコリーンから、バートは一歩後ろに逃げる。

 両手と一緒に眉根を上げて「そう言われても……」と口をへの字に曲げた。

 じぃ、と真っ直ぐにバートを見つめる銀色の瞳から目を逸らして、泳いだ視線で辺りを見ると、2人に近づいてくる赤髪の男性を見つける。



「やめろ、コリーン。困ってるじゃねぇか」


「デイヴ……! これは私達の問題です。口を挟まないでください」


「どうせ“仲間に”とでも迫ってたんだろ? お前のところにはタンクがいないからな。でも、嫌がる人間にそう強制するものじゃない」



 デイヴは2人に近づくと、腰に手を当てながら笑った。

 コリーンは眉を下げて唇を引き結ぶ。


 一方のバートは、表情を緩めて密かに息を吐いた。

 コリーンとデイヴを見比べながら「あの」と、声をかける。



「ありがとうございます。……コリーン、さん。自分は今の仕事を辞めるつもりはないので」



 バートはそう言いながら、頭を下げた。

 コリーンはぎゅっと手を握って、唇を薄く開く。

 軽鎧に包まれたその肩に、デイヴは片手を乗せた。

 もう片方の手はバートに向けて振る。

 その表情はにこやかだった。



「俺の知り合いが悪いことしたな。これ以上付き纏わないように言っておくから、安心して行ってくれ」


「はい」



 バートはもう一度頭を下げて、2人の前から去った。

 行先は自身の家。



 長い距離を歩いて小さな家の前に着くと、バートは扉を開けて「ただいま」と声をかける。

 中で毛糸を編んでいた女性は、黒い髪を揺らして顔を上げた。



「おかえりなさい。……あれ、手ぶら。買い物に行ったんじゃなかったの?」


「あ……」



 アメジストに似た瞳に見つめられて、バートは目を丸くする。

 女性、エリーが首を傾げると、バートの厚い唇は「い、いや」とこぼした。



「ちょっと、外で声をかけられて。冒険者にならないか、ってさ。実は、逃げ帰ってきたんだ」


「そう……バートが冒険者、なんて。ふふっ、体が大きいから勧誘されたのかな?」



 エリーは目を瞑るように笑って、毛糸の輪が複数個かかった棒針をテーブルに置く。



「そうなんだ。俺はただの運送屋なのにな。……ちょっと、1人で考えたいことがあるから部屋にこもるよ」


「え……また?」


「ごめん。部屋には入らないでくれ」


「……分かった」



 イスから立ち上がりかけたエリーは、眉を下げて座り直す。

 バートはテーブルの上に視線を向けて「編み物? 頑張って」と声をかけてから、右奥にある部屋に向かった。


 バートの姿が扉の奥に消えたのを見届けると、エリーは小さくこぼす。



「1週間前から、ずっと……そんなに深刻な悩みなら、わたしにも教えて欲しいな……わたし、バートの彼女なんだし」



 エリーはテーブルに向き直ると、編み始めたばかりの毛糸を見つめ、溜息を吐いた。





****




「雪よ、白く、冷たく……」



 郊外の空き地で呪文を唱え、辺りに雪を降らせたバートは、手を前に出して舞い落ちる雪を受け止める。

 それは手の熱に溶かされたようにゆっくり形を崩して消えていった。



「はぁ……」


「へぇ、これは凄ぇな。冬も間近とは言え、まだ雪が降る時期じゃないのにおかしいと思ったら……」


「あ……あなたは、えっと」



 バートが振り返って言葉に詰まると、デイヴは辺りを舞う雪を見ながら歩みを止める。

 そして、バートに視線を向けた。



「俺はデイヴだ。コリーンと同じく冒険者をやってる。……それにしても、まさか魔法の腕が立つ人間だったとはな」


「いえ、自分なんてまだまだです。師匠にも教えることを拒否されるくらいで……」


「そうなのか? 俺は剣一筋だから、あんまり他のことは知らなくてな……失礼なことを言ったなら悪い」


「とんでもありません」



 バートは首を横に振って、辺りを見る。雪はまだ降り続けていた。

 その範囲は半径10mをゆうに超えている。



「実は、彼女に雪を見せる為にこの魔法を師匠から教わったのですが……何をどう改善したらいいのか、もう分からなくなってきて」


「ふぅん……彼女に雪を。それはなんともまぁ、変わった理由だな」


「あ、自分の彼女は南の方の育ちで、雪を見たことがないらしいんです。ここもあんまり雪が降る土地ではないから、魔法で雪を降らせようと」


「なるほどな。これでも充分凄い気がするが……さらなる高みがあるのか」



 ふっと消えた雪を見て、デイヴは顎を撫でる。



「そうだな、ならもっと高いところから雪を降らせたらどうだ? 本物の雪は空から降ってくるだろ」


「空から……」



 バートは空を見上げて、エメラルドグリーンに似た瞳に青色をたっぷりと映した。

 その口を半開きにして、じっと空を見つめる。



「……それだ! デイヴさん、ありがとうございます!」


「何、礼はあんたがコリンのパーティーに入らない、ってことだけでいい」


「自分は元々冒険者になるつもりはありません!」


「そうか、それはよかった。あんたの悩みも解決したようだし、俺はもう行くとするよ。魔法の練習、上手くいくといいな」


「はい!」



 バートはきらきらした瞳で去っていくデイヴの背中を見つめ、礼をする。

 それから、すぐに空へ向かって手を伸ばした。



「もっと高く、もっと遠くに……雪よ!」



 腹の奥の魔力を起こして、手のひらから天高く、彼方の空へと見えないそれを放射する。

 バートの瞳は明確なイメージを青い空に投影していたが、魔力を昇らせていく途中に、ずきっと腹の奥が痛んだ。



「くっ……力が、足りなかったか……」



 バートは体をくの字に折って腹を押さえ、顔を歪める。

 それでも、その瞳は空を見上げた。



「降らせてみせる……あの空から、本物の雪を……!」



 その場に座り込んだバートは、あぐらをかいて目を瞑り、深呼吸を繰り返す。

 徐々に引いていく痛みが、顔の険しさも取っていった。

 再び腹の奥に魔力が溜まると、バートは立ち上がって天に手をかざす。



「雪よ、高く、遠く……!」





****




 街の外では、太い幹をした木の頭さえも枝が剝き出しになり、緑が長い冬に備えて息をひそめていた。

 街行く人々は上着を着込んで、外気に晒した耳を赤くしている。


 そんな中で、エリーは後ろ手に折り畳んだセーターを隠し、朝食を食べ終えたバートに近づいた。



「バート、あのね……」


「ごめんエリー、今日は行くところがあるんだ!」


「えっ、ちょっと! またなの? 今日はお休みなのに……」


「休みだからこそ、行かないと! やっと見せられるんだ!」



 早足で玄関に向かっていくバートを見ながら、エリーはびくっと肩を震わせる。

 その視線は自分の後ろを見るように、斜め下に向けられた。

 セーターを握る手に力がこもって、毛糸にしわが増える。



「わ、わたしも見せたいものがあるんだけど……」


「帰ったら見る!」


「あ、バート……!」



 エリーは冷気を招き入れてから閉まった扉を見て、溜息を吐く。

 体の後ろに隠していたセーターを前に持ってくると、俯いて眉を下げた。



「せっかく、出来たのに……バート、ずっと忙しそうにしたまま。仕事関係でもなさそうだし……」



 エリーは近くのイスに座って、膝の上に乗せたセーターを撫でる。



「これを渡したら、仲直りできると思ったんだけどな……1ヶ月近く、見向きもされないなんて……わたし、そろそろ限界だよ……?」



 アメジストに似た瞳には、深い影が落ちていた。



 恋人との関係にひびが入っているとは想像もしていないバートは、アランがいつも魔法の練習をしている場所……アランから魔法を教わっていた場所へと来た。


 緑がなくなり、すっかり寂しくなったその場所に白銀の髪をしたアランの姿を認めると、バートは走って近づく。



「師匠!」


「……! バート……帰れ」


「待ってください! 見て欲しいものがあるんです」


「……なんだ?」



 アランは眉をひそめて、コバルトブルーの瞳を逸らす。

 それでもバートは空に手をかざすと「雪よ」と唱えた。

 それだけで、上空は変化する。


 しかし、目を逸らしていたアランは呪文だけを耳にして、変化がない周囲を視界に収める。

 眉間に寄ったしわは、いつしか取れていた。



「失敗してるじゃないか。この前はできてたのに、どうしたんだ?」


「いいえ、成功です。空を見てください、師匠」


「え?」



 表情を緩めながらバートを見たアランは、言われた通りに空を見上げる。

 薄く雲がかかっていた空は、いつの間にか濃い雲に覆われていて……ひらり、ふわりと大粒の雪が舞い降りてきた。

 アランは口も目も大きく開いて、空から降ってくる雪を凝視する。



「俺、本物の雪を降らせられるようになったんです! これで、師匠にも認めてもらえるんじゃないかと。どうですか!?」


「……」



 アランの頬を、白い雪が掠めていく。

 アランはがくんと頭を下げた。

 バートはぼろぼろになったぬいぐるみのようなその挙動に目を見張って、手を中途半端に持ち上げる。



「し、師匠? 大丈夫ですか!?」


「……バート! どうやったらこんなことができるんだ!? 本物の雪を降らせるなんて!」


「えっ?」



 アランはバッと顔を上げると、バートに詰め寄ってその広い肩を掴んだ。

 コバルトブルーの瞳は見開かれている。



「この魔法を見せたら妹がもっと喜ぶ! オレに使い方を教えてくれ!」


「お、教えて、って……俺なんかに、ですか?」


「そうだよ! こんな凄い魔法、見たことがない!」


「え……師匠は俺に才能がなくて呆れてたんじゃ……」



 バートはぱちぱちと瞬きをした。

ぽかんと口が開く。

 アランは目を見開いたままぐいっと顔を寄せた。



「そんなわけないだろ! やっぱりたった1週間でオレ以上の魔法を使っていたのは夢じゃなかったんだな!」


「し、師匠以上?」


「弟子に上回られるなんてショックだったが、ここまで凄いものを見せられたらもうそんな次元じゃない!」


「は、はあ……」


「バート、オレにこの魔法を教えろ! オレがこの魔法を使えるようになるまで帰さないからな!」


「えぇ!?こ、困りますよ、エリーが待ってるのに!」


「じゃあとっとと教えろ!」


「し、師匠、なんか性格変わって……」



 目を丸くしたバートが最後まで言い切る前に、アランはバートの肩を前後に揺らし始める。

 つられて、前後に頭を揺らしながら、バートは「わ、分かりました!」と声を上げた。

 すると、アランは肩を揺らす手をぴたっと止めて、見開いたままの瞳でバートの目を凝視する。

 バートはごくりと唾を飲んだ。



「え、えっと……まずは、空に魔力を放射するんですが……」





****




 灰色の空から、ひらり、ふわりと雪が舞い落ちる。

 アランはそれを見上げて、瞳を輝かせた。



「やったぞ!」


「はぁ……おめでとう、ございます……」



 バートは肩を落とし、疲れの滲んだ溜息を吐きながらよろける。

 有言実行したアランに家へと連れ帰られて、毎日アランの家と練習場を行き来していたバートは、もう空を見上げる気力もないと言うように、地面へと座り込んだ。

 職場にはなんとか、しばらく休むと連絡を入れることはできたが、エリーと住む家には一報もできていない。



「エリー……さぞかし心配してるだろうな……」


「ありがとな、バート。これで妹がもっと喜んでくれる」


「それは、よかったですね……うぅ……」


「ん、大丈夫か? ふらふらだな……今日まで付き合ってくれた礼に、家まで連れて行ってやるよ」


「ありがとうございます……」



 アランは屈んでバートの太い腕を自身の肩に回すと、風を吹かせて逞しい体を持ち上げる。

 アランと風に支えられて立ち上がったバートは、そのまま、アランの肩を借りて約1週間ぶりの自宅へと帰った。



 冷えた風が体に染みる、夜。

 家に帰ってきたバートとアランを見たエリーは、息を飲んで表情を緩めた。


 けれども、顔を背ける。



「……帰ってきたんだ」


「エリーさん、だったか。ごめんな、バートを今まで借りてて。ほら、ついたぞ」


「ありがとうございます……ただいま、エリー……連絡できなくてごめん……」



 バートはアランの肩から腕を外して、ふらふらとエリーに近づく。

 けれどエリーは、バートを避けるように一歩下がった。



「それじゃあ、夜も遅いしオレも帰るな」



 そう言ってアランが帰った後、バートは肩を落としながら長い溜息を吐いて、顔を上げる。

 エリーは右腕を押さえながら、小さな唇を開いて「バート」と言った。



「わたし達さ、別れ――」


「エリー、ちょっと来て!」


「えっ? ちょ、ちょっと!」



 バートはエリーの右手を掴んで、家の外に連れ出す。

 眉根を寄せたエリーがバートを見上げると、その太い腕は空に向かって伸ばされていた。



「雪よ」



 暗い空を見つめて、バートは唱える。

 腹の奥から起き上がった魔力が、腕を通過して空高くへと飛び上がった。



「……いきなり、何? わたし、バートに話があるんだけど」


「ごめん、でもすぐに見せたくて。話は後で聞くから、見て……空を」



 エリーはバートに促されるまま、アメジストに似た瞳を空へ向ける。

 そこは、ただ暗いだけ。


 ……いや。ひらり、ふわりと大粒の白い塊が舞い落ちる。

 エリーは目を丸くした。

 バートは彼女の黒い髪に着地した雪を、指で掬う。



「何、これ……」


「雪だよ。白くて、冷たい雪。空から降ってくる」


「これが、雪……?」


「そう。……これを見せる為に、1ヶ月前からずっと練習してたんだ。難しくて、心が折れそうになっても、エリーのことを考えて頑張り続けた」


「わたしの、為に、これを……」



 エリーはアメジストに似た瞳に白を映して、唇をきゅっと閉じる。

 下がった口角とは反対に、頬は桃色に色づいていた。



「……ずるいや」



 呟いて、エリーは手を胸の前に出す。

 ひらり、ふわりと手のひらに雪が舞い降りると、エリーは「冷たい」とこぼした。



「こんなに、冷たいのに……一瞬で、心が温かくなっちゃった」



 そう言って、エリーは頬を緩める。

 もう一度空を見上げた瞳はきらきらとしていた。



「どう? 初めての雪は」


「最高! ……でもね。ずっとわたしのこと放置してたのは許さないから」


「えっ? そんなことは……」


「自覚、ないの?」



 アメジストに似た瞳に半目で見つめられて、バートは視線を逃がす。



「そ、そういえば、魔法にかかりきりになってたかも……」


「かも、じゃなくて、そう! 罰として……」



 エリーはバートを睨んだ後、家の中に戻る。

 奥の部屋に仕舞い込んでいたセーターを取り出すと、外に出て眉を下げているバートに見せつけた。



「これを着ること! ……わたしが編んだ、セーターだよ」


「……! エリー、ありがとう!」



 バートはぱぁっと瞳を輝かせて笑顔を浮かべると、エリーから受け取ったセーターをすぐに着る。

 エリーは唇を尖らせて目を逸らしながらも、ちらちらとバートの笑顔を見た。



「温かい……俺は幸せ者だ……!」


「もう……」



 そっと目を瞑って笑顔を深めるバートを見たエリーは、頬を桃色に染めて唇の端を緩くつり上げる。

 バートはまぶたを開くと、エリーを見て首を傾げた。



「そういえば、エリーの話って?」


「えっ? え、えーと……なんでもない! ただ、無断外泊したら許さないっていうだけ!」


「はい……ごめんなさい……」



 大きな体を縮こまらせて、バートは目を瞑り、謝る。

 その姿を見たエリーは「ぷっ」と吹き出した。

 エリーの笑い声につられて目を開けたバートも、無邪気な笑顔を見て表情を緩める。


 白い白い雪が降る中で、2人は晴れやかな笑顔を浮かべて、引き寄せられるように大きさの違う手を繋いだ。

 空から降る稀有なものに気づいた街の人々も、家の外に出て空を見上げる。



 ある冬の日の出来事を境に、エリーは笑顔を取り戻した。


 また、街の外れでも、とある少女が空から降る雪を見つめてきらきらとした笑顔を浮かべる。

 アランは自身と同じ、少女の白銀の髪を撫でて、柔らかく微笑みながら空を見上げた。



 触れれば冷たい、白い雪。

 けれどもその景色は、見た人の心を温める――。





[終]

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